かつての大内文化隆盛の記憶がここにあります

興隆寺

興隆寺は、推古天皇の時代(7世紀初め頃)に百済(古代朝鮮半島南西部にあった国家)からきた大内氏の祖 琳聖太子(りんしょうたいし)が建てたと言われています。大内氏が栄えていたころは、広大な地域に僧坊や堂塔などがあり、氷上山全体に及んでいました。しかし現在は、妙見社と本尊「釈迦如来坐像」(山口市指定文化財)が納められている仏殿、国の重要文化財に指定されている「梵鐘」(鐘楼)、山口県指定文化財「氷上山」の扁額(へんがく)などがある脇坊が残るのみです。



二月会(にがつえ)

二月会は、興隆寺で行われていた祭りで、東大寺の「お水取り」を代表とする修二会(しゅにえ)の一種です。祖先の霊を祭り、秋の豊作を願い、旧暦の二月に行われていました。そこで子どもたちによる舞いや、大内氏の家臣が大きな的を射て腕を競う歩射(ぶしゃ)などが行われました。

地図

興隆寺・妙見社
〒753-0214 山口県山口市大内氷上5丁目
 083-927-0597
inserted by FC2 system